52kg級 岸野文音(紀陽ビジネスサービス)

(銅メダル獲得。日本選手団の今大会メダル1号)
「ひとことでは言えないくらい嬉しいです。色々人に練習を助けていただいて、応援していただいた。そのおかげでここまで力をつけられたのかなと思えることも、とても嬉しく思っています。今日は足技を使って前に出て、得意の背負投に繋ぐことを考えていました。最後にこの技を決められたことも、嬉しい。(―入場制限が出るほどの大入り。応援は届きましたか?)外でたくさんの人が並んでいる、2時間待ち、3時間待ちだと聞いて本当にびっくりしました。すごく力になりましたし、応援下さる人たちの様子を頭に浮かべながら試合をしていました。自分は知的障害を持っているので、そのことを同じように持っている人たちに勇気をメダルを取ることでお伝えすることが出来たらいいなと思っています。また、自分は難聴なので、はっきりではないですが発音も出来る。ただ、喋れることで聴者と勘違いされてしまうことが起きてしまうんですね。補聴器を見るとみな、気づいてくれる。こういう大会を通じて、皆さんがそういうところに目を向けてくれたら嬉しいです」
57kg級 岡本記代子(一般社団法人ありがとうの種)

(銀メダリストを相手に奮闘も、1回戦敗退)
「いままでデフリンピックに出たことがなかったのですが、やはり出たい。『聞こえない柔道』をする子供たちはすごく少ない、そんな子どもたちに、特に女子柔道をやることを目指してもらえるようにしたい。自分が出ることが力になるのではないかと、出場を目指すことにしました。そのためには今までの自分の柔道ではダメ。訓練を重ねて、直せるところは直して、昨日の自分よりも今日の自分、今日の自分より明日の自分と、前を向いて頑張ってきました。その日々は充実していたと思います。(―相手はかなり力が強いように見えました)はい、それは本当に、凄く強かった。これからも柔道は続けます。頑張ります」
70㎏級 衣川暁(一般社団法人日本ろう福音協会)

(厳しい展望覆し、気迫あふれる戦いで銅メダル獲得)
「いままでにない嬉しさ。本当に今までの人生で一番嬉しいです。自分は経験もないし、正直なところ怖さもあった。とにかく戦うだけ、気持ちで負けないようにと、それを大切にして練習して、今日1日を戦いました。3位決定戦、ポイントを取った場面は集中し過ぎてあまり覚えていないんです。リードした後は、このまま終わればメダルなんだという思いで、必死で頑張りました。(―準決勝からどう気持ちを立て直しましたか)自分は本当に弱い、悔しい、そういう思いで一杯でしたが、応援に来てくれた弟と妹と、本当に日常の話をしまして。そういう会話で落ち着けたかなと思います。あとは、たくさん来てくれたお客さんの応援が、本当に力になりました。(―これまでの柔道経験を教えてください)小学校・中学校とやっていて、高校からお休みしていたのですが、卒業した頃から『やっぱりやりたい、何をやりたいだろうと考えると、一番は柔道だ』と思っていた。就職して、東京に引っ越したときにろう柔道の存在と、やっている人がたくさんいるということを知り、再開することが出来ました。デフリンピックを知ったのも後からです。あくまで趣味でやるつもりだったので、そんな世界は考えていなかったのですが、東京で開催されることを知って頑張ってみようと思いました。これからも柔道、続けていきます。(―どんなことを知って欲しい、伝えたいですか?)柔道は怖いと言われることが多いんですが、面白いんだよ、と。それをわかって欲しいなと思いますし、柔道をする人が増えて欲しいなと思います」
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