男子60kg級 吉良暁生(社会福祉法人千葉県聴覚障害者協会)

(44歳。男子選手団の先陣を切って奮闘、7位入賞)
「応援してくださった皆さんの期待にお応えできなかったことを、本当に残念に思っています。ですが、皆さんの応援があったからこそ、日本代表まで行き着くことが出来た。金メダルが目標ではありましたが、皆さんのおかげでこの素敵な舞台に立つことが出来た。それは物凄く幸せなことだと思います。子どもが生まれたばかりで、大きくなったときに、お父さんは金メダルを取ったことがあるんだぞと自慢したかった。それが出来なかったことは非常に悔しいですね。(―足をひきずっていた。怪我は?) もう我々にとって、怪我は当たり前のこと、それは重要なことではないです。スタミナ、気持ち、勝つという執念、そういった部分が、相手の方が自分よりも勝っていたということ。それしかありません。(―代表は最後と思います。伝えたいことは) このデフリンピックがあったおかげで、聴者、ろう者関係ない『共生社会』への認識が進んだと思います。一過性のものに終わらせず、ぜひキープしつつ、盛り上げつつ、誰でも生きやすいと世界が実現されることを願っています」
男子66kg級 佐藤正樹(ケイアイスター不動産)

(世界選手権王者として奮闘も、5位)
「正直に言えば、悔しいです。ですが、日本開催ということで本当に多くの方が応援してくださり、たくさんの力を頂きました。もう感謝しかありません。(―世界選手権金メダリストとしての重圧は?)前回のデフリンピックでは3位決定戦で負けているので、リベンジという気持ちの方が強い。その思いで練習してきました。現実として結果は出せなかったですが、応援してくださったたくさんの方の前で、相手を尊重することとか、礼を重んじるとか、そういうことは、きちんと日本人として表現できたのではないかと思います。(―得意の背負投を返された)得意な技は出せた。でも返されてしまった。それはもう現実なので、やむを得ないことだと思います。それが佐藤の実力なんだということですね。 家族のサポートが大きく、本当に感謝しています。今日応援に来てくれた息子に金メダルを掛ける夢はかないませんでしたが、これから気持ちをゆっくり整理して、改めて妻や息子に、また周りの自分を支えてくれた人たちに、いい顔で、自分が頑張ったということを報告出来るようにしたいと思います。ろう者でも、聴者と遜色なく柔道の力をお見せすることはできたのではないか、というふうに自分では思います。デフリンピックは終わりますが、柔道は続けていきたい。でも、今はしばらく、お休みをいただきたい気持ちです」
男子73㎏級 蒲生和麻(JR東日本)

(銅メダル獲得)
「銅メダルを取って、メダルがとれたのは誰のおかげかな、とふと思った。たくさんの人に応援してもらいましたが、何よりも自分を産んでくれた親に感謝したい。準決勝で負けてしまいましたが、同じ選手とは10年前に戦って全くかなわなかった。その時よりも戦えたし、いつもの通りに次の試合のイメージトレーニングをして、集中を切らないように心がけました。前回のブラジル大会では直前に大けがをして、自分の柔道がまったく出来なかった。今回はトレーナーさんにしっかりケアしてもらって怪我もなく、本番も自分らしい柔道が出来ました。金メダルが取れなかったのは悔しいし、メダルが取れたことは嬉しいですが、自分の柔道が出来たことがなにより良かったです。応援はありがたかった。普段の国際大会ではないことで、東京でやれる素晴らしさを感じました。興味を持ってもらえているなと実感しています。デフリンピックをきっかけにろうに対する理解が上がるといいなと思いますし、私たちも理解してもらうだけでなく、聞こえる人たちそれぞれの個性を理解して、尊重してコミュニケーションが取れたらいい。そういう共生社会に、私も取り組んでいきたい」
男子81㎏級 深澤優斗(SUBARU)

(国際大会初出場で銅メダル獲得)
「本当はもちろん金メダルが欲しかったのですが、準決勝で負けてしまって。気持ちを切り替えてメダルを取れて、今はホッとした気持ちです。国際大会に出るのが初めてで、その舞台がデフリンピック。力がどこまで通じるか正直わからず不安ではあったのですが、無事にメダルが取れて良かった。自分は階級を上げたばかりで、相手の体格が上で、力も強いことは覚悟していた。カバーし切れなかった部分はありますが、技術で戦おうと思っていました。得意の内股で勝ちもありましたが、思ったほど出せなかったなというのが正直なところです。(―普段の練習環境は?)所属の会社に配慮を頂き、仕事を少し早く上がらせてもらい、前橋刑務所の練習にお邪魔させて頂いています。土日は、加えてその後に母校の前橋育英高校や町道場でも稽古しています。(―今後は)正直まだ決め切れないところはあるんですけど、次こそ金メダルを目指して頑張りたいと、今は思っています」
男子90㎏級 水掫瑞紀(東海大)

(豪快な投げを連発、3位入賞)
「準決勝で負けてしまったのは物凄く悔しいですが、無事にメダルを取れましたし、嬉しい気持ちで一杯です。前回の世界大会で負けてしまったカザフスタンの選手に勝つことが出来たのも、とても嬉しい。(―払腰に内股と、水掫選手らしい投技を次々決めました)投げた瞬間は、練習してきて良かったなと実感しました。東京でのデフリンピック開催、なんの取柄もない自分がこんなに応援してもらえるのかと、とても嬉しかった。(―普段は東海大で稽古している。シニアのトップ選手とも?)はい。村尾三四郎先輩など、同じ階級とは到底思えないくらい、とんでもなく強いです。(―今後は)今回は銅メダル。次は優勝出来るように頑張りたいと思います」

男子100㎏級 高橋朋希(ジール)

(得意の担ぎ技を武器に銅メダル獲得)
「81kg級の深澤は昔からの友達で、大学も同じ。『一緒にメダルを獲ろう』と声を掛け合って頑張りました。まず、メダルを獲れて本当に嬉しい。決まった瞬間は頭の中がまっ白、10秒くらいしてから、ああ、勝ったんだなと気づいた感じです。準決勝で負けてしまいましたが、その負けを考え続けると危ない。勝つことだけを考えよう、と切り替えました。(―周りは大きい選手ばかりですが、背負投が効いた)ありがとうございます。自分は身長が165センチしかないのですが、担ぎ技で戦える。柔道は小柄な選手でもやれるんだということが、少しは見せられたかなと思います。(―準決勝で負けた時には涙が見えました)いや。もちろん物凄く悔しかったのですが、泣いてしまうと、大学の恩師でもある竹澤コーチから叱られてしまうので(笑)。必死でこらえて、前を向きました。子どもの頃、なんで自分だけ補聴器をつけなければいけないのか、不思議に思ったことがあった。周りと違うなと。それでも関係なく、自分でできることはたくさんある。自分には柔道があって良かったなと思っています」
△アンドリー・ポホレロフ(ウクライナ)](https://ejudo.info/wp-content/uploads/2025/11/2025_1116_DEFLYMPICS_NEWS_M100_002-960x720.jpg)
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