(2019年8月13日に掲載された記事を再掲します)
【編集部より】埼玉栄高を率いて幾度も全国制覇を達成、数々の名選手を世に送り出した名将・本松好正氏が18日に亡くなりました。教え子の冨田若春選手が2度目の皇后盃制覇を達成した、翌日でした。心より哀悼の意を表し、氏の監督最後の大会となった2019年8月インターハイ時のインタビュー記事を再掲いたします。
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史上初となった高校女子「三冠」獲得(2009年)をはじめ、名門・埼玉栄高を率いて数々のタイトルを獲得。その育成力とチームマネジメント力、そしてなにより異常なまでの勝負力の高さからその指揮ぶりを「マジック」とたたえられた名将・本松好正氏が、今大会を最後に現場を離れる。既に3月に同校を退職し、今期限りでの引退を宣言。今大会は非常勤職員の監督として指揮にあたっていた。新チームは、教え子の小林大輔氏に託す。
最後の指揮となった今年度も「本松マジック」は健在。絶対的なエースもおらず、大型選手を揃えたわけでもなく、選手の名前だけで考えればかつかつの戦力。事前評ではベスト8進出がギリギリと目されていたが、蓋を開けてみれば全国高校選手権では決勝進出、金鷲旗大会では5人制という厳しいレギュレーションの中でベスト4入り、このインターハイでも優勝候補の一角・桐蔭学園高(神奈川)を食って準決勝まで進み、3大大会全てでベスト4入りという快挙を成し遂げた。
インターハイの期間中、本松監督に時間を頂いて32年間の指導者生活を振り返っていただいた。
―― 一番の思い出は?
2005年、インターハイで初優勝したこと。それまでは2番、3番が多かった。2番が4回くらいあったんじゃないかな。金鷲旗で勝って、インターハイも勝てそうな気がしていました。ここで勝ったことで、そのあと何回か優勝出来たと思っています。
―― いわゆる「本松マジック」の秘密は?
マジックはないですよ(笑)。・・・敢えて言えば子どもが好きなこと、大事なことですかね。結局、一番良かったことが何かと振り返れば、子どもの目線まで下がって話が出来ることではないかと思います。教え方もそう。今何を考えているのか、何に迷っているのか。一緒に生活して、子どもの目線で考える、それで適切な言葉を掛ける。もしそう(「マジック」と)言っていただけるなら、こういうことだったんじゃないかと思います。
―― 32年間の監督生活、思い出の選手は?
それはもういっぱいいますよ(笑)。強いのも、弱いのも、数えきれないくらいです。長瀬(めぐみ)、烏帽子(美久)、白石(のどか)、三冠のときの主将の太田(成美)・・・。みな大事な選手で、挙げ始めたらきりがないですね(笑)
―― 行きづまったことは?
一杯ありました。勝てなかったときですね。女子柔道を始めろと言われて栄高に来て、途中で男子も見てくれということになって。特に最初の1,2年は関東大会に出ることがもう、夢のような大変なことに感じられました。警視庁で柔道をやってきて、そこでやっていたやり方でいけばいいんだとうぬぼれていたところがあったんですが、打ち砕かれました(笑)。
―― 心残りや、やり残したことはないですか?
ないです!(即答)
―― このあとは?
とりあえず、1年間は柔道から離れます。嫁が25年間食事を作って寮生活を支えてくれた。一軒家を2軒借りて寮にして、そこで嫁が皆の食事を作って、世話をしてくれたわけです。ありがとうというしかない。出来ればやりたいのは、いわば嫁への「謝罪旅行」ですね。1年間は何もせず、一緒に色々なところを回ってゆっくりして、と色々考えています。本人は「行かない」と言っていますけど(笑)。とにかく柔道から1回外れて、それから先を考えます。
―― 今年も、決して前評判高くない中で3大会ともベスト4入り。最後の『マジック』お見事でした。
今年のメンバーは苦労したと思います。耐震基準の関係で学校の道場が壊されて、2月からは道場なしで、どこに建てるかもまだ決まっていない。週2回は舟川柔道塾さんにお邪魔して、あとは市の施設を、手続き通りに電話して、予約して使わせて貰いました。公共施設なので時間が限られているから、清掃も1年生だけではなく全員でやるし、往復したら1時間半かかるから練習時間は本当に貴重。その中で稽古を大事に出来たこと、色々な方にお世話になったことが生きていると思います。稽古をして、食事が出て、というのが当たり前のことではないということが見に染みてわかったと思います。柔道が出来るありがたさがわかったことが、結果としては成績に繋がったんじゃないでしょうか。
―― 後任の小林大輔さんに贈る言葉は?
「しっかりやれよ」という一言ですね(笑)。いまは毎日、本当に怒って(小林氏を)、怒って、考えさせています。彼は彼のやり方を発見すればそれでいいし、自分で見つけなければいけないんだけど、まず考え方とか、ベースを作って欲しいですね。3月までは非常勤でいるだけはいますので、伝えられることは伝えたいと思います。
― その後はさきほどお話された『謝罪旅行』?
そうですね。私が埼玉にいたら小林もやりにくいだろうし、頼ってしまうこともあるだろうし、何より私が口出ししてしまいそう。これはもう絶対に、いないほうがいいんです(笑)。今までお世話になった人にお礼がてら日本中を回る、とか色々構想はありますが、実際どうなるかはわかりません。ただ、とにかく柔道からは1回離れて、リセットしたいですね。
― 32年間の指導者生活、幸せでしたか?
はい!
そして、これで終わりかと思うとやっぱり、少し寂しいです(笑)
本松好正(もとまつ・よしまさ)
1956年生まれ。福岡大大濠高-日本大-警視庁を経て、1988年から埼玉栄高の監督に就任。1991年のインターハイ女子団体戦で決勝に進出、2005年にはエース白石のどかを擁して金鷲旗とインターハイを制し、初めて全国優勝を成し遂げた。2009年には女子史上初となる「三冠」(全国高校選手権、金鷲旗、インターハイ)制覇を達成。高校選手権で優勝5度、金鷲旗で4度、インターハイで3度と累計12回、チームを日本一に導いている。
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