【eJudo’s EYE】奥行きある世界だからこそ間口は広く、「中学生・試合における絞技禁止措置」を支持する

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文責:古田英毅
Text by Hideki Furuta

24日、全日本柔道連盟が「国内における『少年大会特別規定』」を改正し、中学生の試合における絞技の使用を禁じた。既報の通り、発育期にあるものにとっての肉体的負担の高さや、中学カテゴリの指導者減少に伴う事故への懸念、外部から見たイメージなどに鑑みて総合的に判断したとのこと。SNSを見る限り市井の反応は様々。「安全性の観点からは当然」「磨いて来た技術が禁じられるのは不憫」「技術的多様性が失われる」「国際的な競技力で出遅れる」「高校から一気に絞技・関節技では負担が大きい」「医学的データがないのに禁止は暴論」など。方向性違えど、どれも反応としては極めて健全だと思う。(仄聞する限り、連盟内でもほぼまったく同じトピックが話題にあがり、議論が尽くされていた模様だ)

筆者は、柔道の最大の魅力は技術的な多様性、解に至るルートの多さだと思っている。なので技術の制限は基本的に歓迎しない立場なのだが、逆に、というか、ゆえに、今回の措置は支持する。技術を残すためには、安全性と両立して社会の理解を得られることも大事。IJFの中に絞技そのものを廃止しようという議論があると噂される中、すこし乱暴な言い方になるが、中学生の絞技禁止はむしろよくここで収まったという「許容範囲内」だとすら思う。

というわけで。筆者の「憂いつつ、受け入れる」というこの立場から、今回の措置を受けて思うところを少し書いておきたいと思う。まずは基本的なことから2つ。ひとつは、SNSでも声の大きかった競技力低下の懸念について。もうひとつは、技術的多様性の担保について。いつも言っていることだが、これ(競技ルールの変更)で「柔道」そのものが変わるというわけではなく、技術的な可能性が封じられたわけではないということについてだ。

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