文責:古田英毅
Text by Hideki Furuta
阿部詩の強さについては速報レポートと当日の全試合戦評で既に十分書かせて頂いたし、その技については技術コラムでも扱わせて頂いた。同日の66kg級の「早出し」が固めの評論であったこともある。ゆえに52kg級は少し異なる視点からのインプレッションを。見立て1つで、一息で書かせていただく。
今大会は少年マンガ、そもそも柔道競技の「劇的傾向」は強まっている
今大会は少年マンガ的な展開(良い意味での)が多いな、と思いながら見ていた。キャラクターが立ち、ストーリーが追いやすく、展開が劇的で山場がはっきりしていて、かつ終着点が受け入れやすく、理不尽感が少なく、カタルシスがある。
そもそもが「勝負ごと」であるし、柔道競技が「投げればそこで終わり」の極めて劇的要素の強いジャンルであることもある。そして今のIJFルールがそもそも劇的展開・決着を生みやすいように企図され洗練されてきたものであることが非常に大きい。古くは旗判定の廃止、さらにゴールデンスコアの導入や、技のポイントの単純化、「指導」ポイント取り扱いの変容。今大会、例えばいったいいくつの“『指導2』失陥から突如振舞いが変わった末の逆転劇“、あるいは“『投げて投げられて同点』からの投げで決まった段重ね決着”が生まれたことか。私の立場から端的にいえば、この競技、戦評が書きやすくなったのである。たとえば2013年や2014年あたりに比べると、試合の中の「ストーリー」の起伏が取り出しやすい。展開を抽象化しやすい。フィジカルエリートばかりでどの選手も尖った「武器」を持っているハイレベル国際大会なるとこれはさらに加速するし、もともと柔道はゴールに至る手段が豊富なことが特徴なので、キャラクターも尖りやすい。肉体的にも方法論的にも超人ばかりの男子中量級は特にこの感強く、ビジュアルがバラつく重量級などは見た目のラベルも貼りやすい。加えて、年に1度の世界選手権という磁場の高さも展開を熱くする。
阿部詩の主役感半端なし
ルールの整備による展開上の劇的演出、ワールドツアーの隆盛と国際大会増加による「キャラ立ち」の強化、年に1度の世界選手権というイベントの希少性が生み出す選手と観客の思い入れの高さ、それによって生まれる「場の熱さ」。
この掛け算が極まって来たな、今回は「少年マンガ的」な世界選手権とラベリングするべきかもしれないな、などと感じつつ8日間を過ごしたわけだが、その思いの起こりが52kg級、阿部詩の優勝に至る過程だった。「起こり」でありながら実は極まりだったかもしれない。
そもそも言うまでもなくこの人自体がかなりフィクション主人公組成の人。決まり技はほぼすべてが豪快な投技、記号的には「小柄でパワーに劣る」はずの日本の女子が、海外のいかつい強豪をばったばったと投げつける。そして兄妹同日オリンピック金メダル、しかも何年間も肩の激痛を隠して「試合中に抜けないように柔道自体を変えながら」の世界一。現実の世界の人とは思えない。
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