文責:古田英毅
Text by Hideki Furuta
今回もeJudo版、日本代表「採点表」を提示する。例によって評価のもっとも大きな指標は「自分の持つ力を出せたかどうか」。毎度使っている言葉だが、結果はもちろん、勝ちぶり(負けかた)、内容、戦略の方針、準備、自己強化の方向性と、すべてがこの言葉に集約出来る。あらためて、指標として掲げるに不足なしと考える。
ワールドツアーは大河ドラマ、「文脈を持てる選手」が強い
採点の前に大会総評としてひとつ、少々異なる観点から語りたい。これは完全に主観的な評であり、言ってしまえばファンとしてのただの感想に過ぎないのだが、長年持ち続けて来た筆者の本音中の本音。かなり本質的な評だと思う。
最終的に勝つ選手には共通項がある。それはワールドツアーの中で「文脈を持てる選手である」ということ。物語を持てる選手が強い。己にストーリーを引き寄せられる選手が強い。ワールドツアーウォッチャー(選手やコーチも含む)たちは、おそらく言葉にせずとも無意識下でこの感覚を共有しているのではないかと愚考する。
ワールドツアーは大河ドラマ。縦糸横糸種々様々のストーリーが織られ、絡まり合いながら、4年に1度のオリンピックに収斂していく、物語の紬ぎ場である。定期的に大会が開催されるようになり、選手の顔が見えやすくなり、その実力も成長も詳らかになることとなったワールドツアーシステムの爛熟の中にあっては、この方向性の進化は必然的なものである。そしてその最終章であるオリンピックで「勝った」と言える選手たちは、全員がバックグラウンドに目に見えやすいストーリーを抱えて、それを他選手や私たちファンと共有していた。ワールドツアーの大きなストーリーにきちんと参加していた。文脈を持っていた。
ストーリーに参加できるかどうか。これは単純に強いから権利がある、弱いから参加出来ない、という話ではない。これまでの10年間を思い返すと、単に試合で勝った負けたを繰り返すだけで戦いの内容が散文的な選手は、たとえその時点である程度強いものであっても、ほぼあまねく消えていった。いつの間にか国家代表のリストから消えて、ツアーの場で顔を見なくなる。ふわっとした言い方でまことに恐縮なのだが、どちらかというとキーワードは試合成績自体よりも内容の側、「意志」とか「成長」とか、場の磁力を帯びてきちんとパフォーマンスに跳ね返らせる「感性」とか、そういったものにある気がしている。感性が貧弱でワールドツアーの文脈にそもそもアクセスできない人間は、結局中途半端なまま消えていく。(今回も成績を残した割にIJFのMCが名前を覚えられない選手が何人かいたのだが、それがこちらの「文脈にアクセス出来ていない」とラベルする選手と丸々被ることは感慨深かった)
アクセスのエンジンは「己を強いと信じる力」だったり、「やりたい柔道」だったり「ライバルとの相克」だったり「ここ一番の異常な勝負強さ」だったり人によって様々なのだが、最終的に角を出す選手は早い段階で己なりのやり方で、ワールドツアーの物語参加への「とっかかり」を得ているというのが筆者の見立てだ。おそらく、そういう尖りと感性を持った選手でないと、変わり続けるワールドツアー世界では結局生き残っていけないということだと思う。
今大会におけるアンディー・グランダの100kg超級制覇は驚きであったが、グランダは別に突如湧いて出た選手ではない。突出した成績は残せていなかったが、ワールドツアーの中できちんと位置を得、文脈にアクセスしていた。その橋頭保になったのが、SNSでも紹介させて頂いた2017年世界無差別選手権における王子谷剛志狩り。私たちはあの豪快過ぎる払腰「一本」でグランダを知り、100kg級から最重量級に転向するアスリート系パワーファイターというリオー東京期の大きな流れの中にある人であることで肉付けし、パンナム地域を代表する強豪という出自で色を塗り、あの王子谷狩りを彷彿とさせる背中持ちの豪快な投げで彼をラベリングしていた。そのバックグラウンドがあの斉藤戦の見事な戦術変更を、「この手を採った30歳の執念」というストーリーとして昇華させたわけである。私たちがツアーを眺める際の新人の評価軸は「文脈にアクセスする手段があるやつかどうか」であると言っても過言ではないのだが、グランダはちゃんとこれを持っている男であった。
というわけで。今回の日本代表では90kg級の増山香輔と100kg級の飯田健太郎が入賞なしに終わってしまったのだが、筆者はこの「文脈へのアクセス」という観点からは2人とも実は「権利を得た」大会だったと思う。増山は五輪王者ベカウリ相手の3連敗というジュニア時代からの因縁を以て(もちろん前提として昨年来のツアーで増山が見せてくれた強さがあるからだが)、飯田はかつて世界が持てはやした代名詞の内股を透かされて負けるという「どん底」の絵と成績を以て。この「権利」、実は誰もが得られるものではない。言い換えれば、何より得難い勝者の資格を得たということでもある。既に「立ち位置」を得た以上、あとは己を主役と位置付けられるかどうか、一種図々しく「オレ中心」のストーリーを引き寄せられるかどうか。成績上採点は辛くしなければならないが、決して無駄な大会ではなかったと思う。次への伏線が張れた、とぜひ前を向いてもらいたい。
対照的に。それぞれ3位、5位と入賞は果たしたが、78kg超級の冨田若春と70kg級の田中志歩の戦いぶりにはこの点厳しいものを感じた。冨田は己を便宜上この「文脈」に貼りつけていた所以の「世界代表を張るようになって以降日本人以外に負けていない」を一種淡々と手放してしまったし、田中は内容・成績・意志ともに率直に言って貧しかった。目の前の相手に自分のやれることをやるだけ、と己の内側に埋没するだけでは届かない成績以外の「なにものか」(この稿ではこれを「文脈」と表現したわけだ)を感じ、登ろうとする意志が決定的に足りなかったと感じた。消化不良の大会であった。
男子採点表
60kg級 髙藤直寿(パーク24) 7.0
成績:優勝
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