【eJudo’s EYE】早期内定は歴史的な「修復機能」の発動、選抜体重別は要不要のレベルから考え直すべき

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文責:古田英毅
Text by Hideki Furuta

現強化陣。鈴木桂治監督(右)は選抜体重別を前に「早期内定」の追加を提案、実現させた。

強化サイドの誠実な姿勢を支持する

3月10日の全日本柔道連盟強化委員会で、10月に行われる世界選手権の代表が、新たに5人追加された。66kg級の阿部一二三(パーク24)と武岡毅(パーク24)、81kg級の老野祐平(旭化成)、90kg級の田嶋剛希(パーク24)、100kg級の新井道大(東海大3年)だ。

いずれも客観的に見て妥当な選出である。三次予選となるワールドツアー欧州シリーズを戦い終えたこの時点で他候補者と実績面において格段の差がついた、平たく言うと「(最終選考の場である)全日本選抜体重別選手権で他選手が逆転することは不可能」であると判断されたゆえの措置だ。

妥当な判断。そしてなにより、誠実な措置だ。これまでは4月に行われる全日本選抜体重別選手権に「最終選考会」の名が冠されていることに阿り、この時点で内定が打たれることはまずなかった。TV中継やスポンサー、あるいは開催地への配慮といった選考以外の強い力、いわば「ノイズ」が、これをさせなかった。

今回強化陣は、選手に必要のない試合を戦わせて余計な負担を掛けることを辞め、批判を恐れず誠実に行動した。まずこの「選手ファースト」の姿勢を何より高く評価したい。現状に嘘をつかなかった。正しいものは正しいと、筋を貫いた。この判断を、もろ手を挙げて支持する。

当然選手の反応も良かった。90kg級の田嶋剛希は「実質(世界選手権代表2枠目選出は)決まりだろうと思っていたが、規定上決められないから出ろと言われるのではないかと思っていた。決めてくれて本当にありがたい」(3/15東京選手権時)と語り、100kg級の新井道大も「集中して全日本選手権に挑める」と感謝を口にしていた。

鈴木桂治男子監督は強化委員会直後の会見で「しっかり結果を出した選手にはきちんとした形で報いるべき。実際に内定を出せるくらいの差がついているのに、出さないことはコーチと選手との信頼関係にもかかわる」旨を語った。

ノイズを吹っ飛ばした誠実な選考。筆者はこれを、長年続き、そして特にこの10年歪みが拡大していた「選抜体重別という矛盾」に対する、斯界の自己修復機能の発動だと感じている。代表の座は実質決まっているのに「最終選考」であるとの建前をあくまで守らなければならない、「顔見世」で一番手に出場を強いなければならない、スター選手の頭数を揃えなければならない。逆に8人による体重別日本一決定戦であるという体裁を守るために既に代表権のない選手も「最終選考会」に出場させて競らせねばならない。あまりにも不自然なこの「力」に対し、長いスパンで見ての無意識的な押し返し現象が起こったのが、2026年春季の代表選考であると見立てたい。

そして実は、これは選抜体重別を面白くするためにも正しい措置だと思っている。試合とは、単にビッグネームを揃えさえすれば面白くなるというものではない。入口と出口がはっきりしている「わかりやすさ」こそがイベントの命。史上おそらくもっとも注目を集めた阿部一二三と丸山城志郎による「決定戦」は同時に、史上もっとも「勝ったら何が起こるかがわかりやすい」イベントでもあった。12月の「評」にも書かせていただいたが、先日のGS東京は満員札止め。そして代表選考における「入口と出口」が現在もっともわかりやすいのも、やはりGS東京である。代表選考システムが定着し、キー大会であるGS東京の重要度が増し、選手もお客さんもこの大会の勝ち負けで「何が起こるか」を共有するようになった。人気が上がって来たのは当然のことだと思う。

ビッグネームを無理やり出場させても、それは継続性のない一過性のカンフル剤。それで大会の価値が上がるわけでまったくはない。花試合はどこまでいっても花試合。モチベーションの薄いスターを単に大会の見てくれをよくするためだけに1回消費しても、トータルで見れば大会の価値は次第に下がっていく。選手は疲弊し、場合によっては選手自身の価値も下がる。いいことはない。

必要ある選手だけを厳選して、高いモチベーションで戦わせる。これ以上大会の価値を上げる行為はないのだ。そのために「既に戦う必要のない選手」を事前に抜いたこの選考は、選抜体重別のためにも良いことだと思う。今回、代表が決まっていない60kg級や73kg級、100kg超級は掛け値なしに「勝ったほうが世界選手権代表」(あくまで対象者のうち、という制限つきではあるが)というわかりやすい構図になった。必要な階級で、必要な戦いが行われる。これで大会が面白くならないわけがない。今大会は熱戦を保証する。体重別日本一の称号を目指す選手たちの、そして世界選手権日本代表権に挑戦する選手たちの、熱い戦いに期待したい。

強化陣、英断であった。というわけで、まずは「評価すべきことは、評価すると表明しておきたい」というのがこの稿のモチベーション。以降はこれに関連して、「選抜体重別」というシステムについて一言書いておきたい。

大会を整理すべき時期 選抜体重別は脱構築が必要

強化委員会ではこの選考がほぼ認められた段階で、1人の委員が「案には賛成だが、一言言いたい」と発言を求めた。曰く「こういうことをしていると、選抜体重別が弱体化していく。やはり、福岡の地で、大会が盛り上がって、スポンサーもついて、TV中継もついて、福岡が盛り上がって欲しい。そこはよく考えてもらいたい」と。

体重別日本一決定戦という枠組みを大事にしたい気持ちはよくわかる。その思いは尊重したい。しかしこの発言には考え込まざるを得ない。考えてみて欲しい。今回強化は正しいことをした。では「正しいことをしたら弱体化する」大会とはいったいなんなのであろうか。正しいことをしたら弱体化するのであれば、それは歴史的な必然ではないだろうか。必然的に弱体化していくものを無理やり守るために、「正しいことをさせない」行為は逆に業界全体を弱体化させていくのではないか。

8名による体重別日本一決定戦という枠組みのイベントに「最終選考会」の機能を持たせる。そのために生じた軋みは枚挙に暇がない。既に権利のないものも代表選考会に参加させるというわかりにくさ。逆に、戦わずとも実は代表が決まっている選手も参加させる理不尽(どの世界に、代表候補が出たくない選考会があるというのか)。あるいは「勝たなければ代表がない」というプレッシャーに縛られるものと、「失うものがない」立場でノビノビ強豪に立ち向かう挑戦者という非対称性。このハンデ戦を戦わされた挙句、時に「負け代表」の名を着せられる日本代表の価値の毀損。

「最終選考会」という名前を守るために起こるこの構図に、どれほど私たち柔道のイメージが貶められてきたか。2016年春、既に代表権のない阿部一二三が選抜体重別で優勝。その強さ隠れもなかったが、制度上阿部がリオ五輪代表に選ばれることはない。しかし社会は「柔道はおかしい」とわが業界を大バッシングした。どころか柔道人も連盟を叩いた。無理もない。それくらいこの「最終選考会・選抜体重別」という制度はわかりにくかったのである。前代に比べると選考システムがかなりしっかり整備された時代だったのだが、それでも(ある意味狙い通りに)「最終選考会」という記号はあまりにも強過ぎた。その看板が、整備した制度のディティールをすべて消し込んだ。実績の積み上げベースの選考制度に、あたかも一発逆転があるかのような「最終選考会」の名前を冠するイメージ上のミスリード。あの結果を「そりゃそうだろう」とあっさり迎えられたのは一部のコア層のみ。これで社会の支持を得られるわけはない。私たちは「柔道の選考は不透明で理不尽だ」というバッシングに耐えるしかなかった。

いまだに残る「柔道連盟は理不尽」「選考はお手盛り」という悔しいイメージは、長年の「選抜体重別の矛盾」の蓄積によるものだ。

選抜体重別が終わるたびに、通りすがりの(多くはかつて柔道を齧った)ファンに「なんで勝った選手を選ばないんだ!?」とSNSで一言吠えられる構図は、いまも変わらない。私自身が、鈴木桂治監督に「ということは、選抜体重別をやる前から既に代表は決まっていたということですか?」と代表発表会見で直接質問を浴びせたこともある。仕事として、当てないわけにはいかなかったのだ。

選抜体重別を失くせとは言わない。ただ、この大会も含めた、国内選考大会の枠組みを再構築すべき時期が来ているのではないだろうか。以下、メモする。

・体重別日本一決定戦と「代表選考」は切り離すべき。

この大会に代表最終選考会の機能を負わせるのは無理がある。最終選考会をやるのであれば、必要な階級で、必要な人間だけで行う「決定戦」が理に適っている。現行の選考システム(国際大会の実績積み上げベース)を続けるのであれば、体重別日本一決定戦と代表最終選考は違う機能のイベントとして、切り離すことが健全だ。看板を守らんとするあまり無理をさせ過ぎた。あまりにも長い間矛盾を引っ張り過ぎた。

今回、男子は必要な階級のみに代表選考を絞った。理に適っている。しかし、ゆえに「最終選考会で勝負を決める必要がある」という判断のもとに送り込んだ2選手がともに負けた場合は、ロジック的に「どちらも選べない」という袋小路が待っている。紛糾必至だ。代表権のないものと混ぜて「最終選考会」をやるリスクはここである。非常に心配だ。

・実は既に「体重別日本一決定戦」の機能もない

健全に代表選考を行えば、最終選考会を前に一番手・二番手が離脱する(代表に決まる)ことはこの先も確実に増える。現行の選考制度と大会スケジュールで「最強の8人」が集う体重別日本一決定戦を行うことはもはや難しい。国際大会の日程が鷹揚だったかつてとはまったく事情が違うのだ。講道館杯のほかに、もう1度国内体重別最高峰大会を行う、その必然性が揺らいでいる。

かつて日本は、講道館杯の時期をドラスティックに変えたり、選抜体重別の大会形式を変更したりと、よりよい選考方法を求めて大会の枠組み自体から作り直すダイナミズムを持っていた。大会システムが整備されてからこの動きは抑制されているが、そろそろ考え直す時期なのではないか。少なくとも、理想の形は何かのシミュレーションを始めて検討すべきではないか。

余談ながら、現在講道館杯の上位にあり、「体重別日本一決定戦」の機能を果たしているのはグランドスラム東京だ。かつての選抜体重別の役割は、この大会が果たしつつあると言っていい。もう1ついえば「体重別日本一決定戦」と「代表選考」のシンクロ率がもっとも高いのもグランドスラム東京。選抜体重別の存在意義は、この意味でも揺らいでいる。

・選抜体重別は脱構築が必要、ゼロから考え直すべきだ

スポーツ中継のありかたは変わり、社会における地上波TVの立ち位置も変わった。前述の強化委員が望んだ「スター選手がたくさん出場して」「地上波TV中継がついて、その中継にスポンサーもついて」という選抜体重別は、この先、方向性として縮小していく。大会の価値どうこうではなく、時代としてなくなっていく。旧き良き時代のノスタルジーに振り回され過ぎるべきではない。後ではなく前を向くべきだ。これからの時代にどんな大会があるべきか、どんな機能を負わせるべきか、脱構築して考え直さなければならない。

第1回大会が九州柔道協会主催、この大会はそもそも九州ルーツのイベントだ。だが、極端な話、前述強化委員の言葉を借りれば「福岡の地で」というこの前提条件も取っ払うくらいの勢いで、選抜体重別の在り方は考え直したほうがいい。例えば、ドライに、集客を考えれば東京でやったほうがいいし、九州開催と「最終選考会」という看板の維持がセットなのであればもはやこの地での開催自体から考え直したほうがいい。九州でのビッグイベント維持は「福岡国際柔道大会」を返上した当地への配慮も大きいのではないかと思うが、それなら何年かに1回、グランドスラムは福岡で開催すればいい。妄想レベルで恐縮だが、それくらい現状の前提を取っ払って大会の意義を考え直すべきではないだろうか、ということを言いたい。

おおむね以上である。結局選抜体重別に対しては「考え直すべき」「選考とは切り離すべき」くらいしか言えずお恥ずかしい限りだが、矛盾を認識し、危機感を共有頂ければ幸いである。私たちが守るべきものは「大会」なのか、それとも選手や「柔道」というブランドそれ自体であるべきなのか、いま一度考えてもらいたい。

蛇足ながら、私は選抜体重別というイベント自体は大好きである。選抜された8名による体重別日本一決定戦という枠組みに燃えるし、毎回会場では熱戦に身を震わせている。可能な限り「嘘」を廃した今年度大会に掛ける期待も極めて大きい。一に、その機能と意義をここでしっかり考え直そうという、ドライな、前向きの提言と捉えて頂きたい。

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