文責:古田英毅
Text by Hideki Furuta
既に総評で、この男女混合団体戦を巡って感じさせられた大きな構造について語った。柔道そのものという長い時間軸で見た構図、日本がこの後進むべき道の示唆があったこと、そしてこの日1日の流れなど。ここでは常の評の通り、局所的に、「この試合」について語ってみたい。決勝のフランス―日本戦だ。
フランス 4-1 日本
[70kg]クラリス・アグベニュー○合技[小内刈・小内刈](3:31)△新井千鶴
[90kg]アクセル・クレルジェ○GS大内刈(GS1:55)△向翔一郎
[70kg超]ホマーヌ・ディッコ△合技[大内刈・横四方固](3:07)○素根輝
[90kg超]テディ・リネール○GS技有・内股(GS2:29)△ウルフアロン
[57kg]サハ=レオニー・シジク○優勢[技有・内股]△芳田司
[73kg]ギヨーム・シェヌ ― 大野将平
フランスチームがドライな判断を基に「賭け」に勝った試合であり、同時にこの日初戦から見せつけていた団結力の強さ、個々の「仕事率」の高さを存分に発揮した試合。采配という点でも、曖昧さを残して判断ミスのあった日本に対して、ドライな判断で上を行った。加えて背景・時運すべての流れが、フランス勝利に傾いてこれを加速していた。
鉄板基礎点が「死に駒」に変わってしまった
「流れ」。まず、誰もが指摘しているようにオーダー順の巡りがフランスを利した。決勝ラウンドは女子70kg級からの開始。日本のストロングポジションである男子73kg級は6番目だ。男女混合団体戦は、引き分けありの日本式団体戦レギュレーションのように、最後に控える大駒が盤面全体に力を「利かせる」ことは出来ない。最後衛は単に潜在的な得点が具体的な数字になるまでにもっとも時間が掛かるポジションであり、盤面の隅々に力を利かせるどころか、死に駒となるポジションだ。先手必勝の男女混合団体レギュレーションではもっともキツい形である。プレビューで書かせて頂いた通り、フランスと日本の鉄板基礎点はそれぞれ「1」あるわけだが、日本はその貴重な鉄板枠を数字として計算することが出来なくなってしまった。そして大野のこの配置はフランスに良い意味での切迫感を生んだ。引き分けがなく「ちょっとの不利」の着地点がないこのレギュレーションにあって「6戦目に回してはならない」という意識は「1試合1試合の個人戦をしっかりやり切って勝つ」という男女混合団体戦の強く意識させる方向に働いた。この配置はフランスの加速装置としても働いたのである。
日本有利であったはずの重要ポジション、分水嶺の70kg枠をフランスが抑えた
オーダー順の巡りについてもう1つ。先手必勝の男女混合団体戦で重要なのはなんといっても第1試合。ここに「フランスー日本」の星読みでもっとも大事な女子70kg枠が来てしまった。筆者はいくつか引き受けたメディア向けの勉強会でも「ポイントは70kg枠で新井がしっかり取ること。男女混合団体は分水嶺の得点がどちらにいくかで、意外な大差になることがままある」と力説していたのだが、この分水嶺がなんと初戦に来てしまった。冷静に結果を見ていけば、実は事前予測から計算が狂ったのはこのポジション1つのみ。新井と本来のレギュラーであるマルゴ・ピノ(あるいは代表落ちしたマリー=イヴ・ガイ)との力関係は「8割がた新井の勝利、事故に気を付ければ良い」であるから、これはアグベニュー1人にやられた試合という言い方すら可能だ。碁盤の目のもっとも大事なところを抑えられてしまった。
「1人で試合を決めた」アグベニュー投入に至る流れと計算
そのアグベニューの投入について。これはフランスの賭けが当たった。また「流れ」で言うと、フランスがこの賭けに出やすいバックグランドが揃っていた。70kg枠のレギュラーであるマルゴ・ピノはメダルクラスの強者であるが前述の通り純戦力的にそもそも新井に劣り、かつこの五輪は不出来。個人戦は初戦敗退、団体戦でも初戦で階級落ちのギリ・シャリル(イスラエル)に背負投「技有」で敗れてしまっている。ピノをこのまま使い続けることはもはや難しい。「負けてもともと」で1階級下のアグベニューにベットする肚が決めやすかった。ピノがこの五輪でいつもの通りそこそこの出来であれば、あるいはフランスの70kg級の代表が過去高い実績を残した選手であれば(つまりマリー=イブ・ガイ)そのまま順当に器用された可能性が高く、新井は同じ70kg級の磁場で戦える選手に、おそらく負けることはなかっただろう。
また、かつて70kg枠に起用されて散々な出来であったアグベニューが、ピノの不調を受けて起用された準決勝で70kg級の銅メダリストであるサンネ・ファンダイク(オランダ)を捩じり倒しての隅落「技有」で倒すハイパフォーマンスを見せたことも大きい。そしてもう少し言えば、これは憶測になるが、この日午前中のセッションを通じて、「階級差は磁場の違いを生み、必ずしも不利とは言い切れない」ことが証明されていたことも起用を後押しすることとなったのではないか(※オデット・ジュッフリダやサギ・ムキ、サイード・モラエイら階級落ち選手の大活躍はもちろん、阿部詩-テレザ・シュトル戦なども逆に磁場の違いを感じさせた。阿部、体が強すぎるシュトルに抱きつき大内刈は無謀。先日出口クリスタが弾き返された技である。情報がなく勝手が違ったのであろう)。
そして最大の要素は新井が相四つを苦手としていること。フランスはこれに関しては事前にしっかり掴んでいたと思う。70kg級に左組み選手はほぼ皆無と言って良く、王者新井がこの五輪で戦った選手もダークホースのミヘイラ・ポレレス(オーストリア)ただ1人。新井は左組みのトップ選手と戦った経験が極端に少ないのだ。筆者がアグベニュー起用を見て最初に思ったのも「世界チャンピオン対決」より先に「相四つになってしまった」であった。そもそも選手として絶対値が高すぎるアグベニュー、そして揚がるチームの勢いを己の力に変える感性のあるアグベニュー。これに対峙するにどこか噛み合わない日本チームの、そして相四つが苦手な新井。試合内容はご覧頂いた通りアグベニューの圧勝であった。結果から言えばそもそもの地力でアグベニューのほうが断然上、選手としての格が違った。フランスはある程度可能性のある中堅選手を出して失点を受け入れる順行運転ではなく、階級落ちの強者を送り込んであくまで1点を獲ることを選んだ。引き分けがなく「勝つか負けるか」しかない男女混合団体戦レギュレーションが引き起こした強攻策とも言える。“ちょっとの不利”の着地点がないこのレギュレーションに適った作戦だ。結果日本に与えたダメージは差し引き「マイナス2」。フランスは賭けに勝ったのである。
「団体戦バイアス」が戦い方を濁らせた
日本特有の文化による「団体戦バイアス」を挙げたい。男女混合団体戦の鉄則は「先手必勝」。そして引き分けなしのこのレギュレーションの必勝法は、1人1人が「個人戦」をやり切ること。フランスにはこの「個」を貫くことがチームの全体最大利益になることが染み通っていた。例えば団体戦男である勝負師アクセル・クレルジェはハナから長時間試合を想定して、じっくり向を仕留めにかかっていた。クレルジェと向の力関係であれば長時間試合で寝技決着を狙うほか勝利の道がないことはわかっていたであろうし、向が集中力を切りやすい、我慢が利かない選手であることも折り込み済みだろう。
引き換えて日本。例えば芳田司は常の戦いが出来なかった。ワールドマスターズ決勝では同じサハ=レオニー・シジクを相手に早い段階で「勝つには長い時間を掛けて寝技で仕留めるしかない」と定めて9分4秒掛けて勝利を得ているのだが、この試合は自分が負ければチームの敗退が決まるというバックグランドを過剰に意識したか体がガチガチ。芳田の良さである、相手の弱点を探してそこにもっとも嫌なことを擦り込むオールラウンダーゆえの戦略眼が「背景の星取り」に影響されて死んでしまっていた。4分経っても引き分けで試合が終わることはないわけだから、焦って早く取りに行く必要はない。常の芳田であれば、集中力に難のあるシジクを相手に時間無制限の試合をどこまでも戦って、自分のペースに持ち込む作戦を採ったはずである。それが挽回せねばと過剰に入れ込み過ぎて、シジク相手にひたすら投げを狙っていた。かつての戦いで不利を早々に見抜いて敢えて避けた、シジクが最も得意とする投げ合いフィールドである。「個人戦の戦いをやり切る」という男女混合団体戦の鉄則を貫くに当たり、日本の団体戦文化の「背景に応じて戦い方を選択する」という刷り込みがノイズとなってしまった可能性は十分あると思う。加えるに、この試合がこの日の初戦になってしまったことも気の毒であった。
チームの一体感で遥か上を行ったフランス
前段の話を引き継げば、この日団結力高くどこよりも「チーム」になっていたフランスが、あくまで1人1人が「個」の戦いを貫くことで総体の勝利に辿り着いたという構図はなかなか面白い。
この一体感という観点で日本に目を移すと。午前中セッションの2試合を見る限りどうもチームになっていない印象を受けた。悪いチームではないのだが、一体感溢れるフランスやドイツ、イスラエルなどに比べると、「傭兵部隊」のような印象が否めない。フランス代表は常から男女一緒に行動することが多いチームだが、このあたりもあるのだろうか。リネールとアグベニューという男女の絶対王者がチームメイトを叱咤し、飛び跳ね、ともに肩を組む一体感の高さには直前の「チームビルディング講習」などでは到底追いつけないものを感じた。日本もこれが男子のみの団体戦であればたとえば「井上監督を男にする」という目標で一体感が出る可能性は高かったと思うが、男女が混ざるとこれもなかなか難しい。シンプルな、太い力の通り道がなく、力が分散しているように感じた。読みの段階ではどっちが勝ってもおかしくない力関係にあった90kg枠、57kg枠をいずれもフランスが獲ったことに、この影響は少なからず(いわく言葉にしがたいエリアなのだが)あったと思う。
レギュレーション特性を見つめた「采配」の差
采配面について。レギュラー階級の強者であり、個人戦初戦敗退のピノに名誉挽回のチャンスを与えるのではなく、あくまで勝負に徹して階級落ちのアグベニューを起用したフランスの采配は見事。単なる突貫勝負ではなく左相四つという相性を睨んだこと、持ち札と相手の戦力を計算した結果採った策であろうことも素晴らしかった。引き算と思い切りの良さのバランスが絶妙だった。
一方の日本は、向を最後まで引っ張った。相性を無視した単純な「序列」で言えば向で勝つ可能性も十分あるわけだが、団体戦男のIQファイター・クレルジェに対峙するに、集中力の切れやすい向はもっとも当ててはならないタイプ。「少々相性が悪い」という呑み込める範囲の不利が「1点という絶対的な数字」として跳ね返ってしまった。
向のここまでの出来が良かったことが起用の根拠になったと推察するが、実はこの日の団体戦における90kg級個人戦上位選手はみなボロボロ。ミハイル・イゴルニコフは向戦も含めて3戦全敗、うち階級落ち選手に2敗。エドゥアルド・トリッペルも2戦2敗。ノエル・ファンテンドも最終戦では階級落ち選手に食われている。明らかに疲れていた。この大会を通じて指摘され続けた「指導」の遅さは90kg級が行われた大会第5日がピーク、上位選手は長時間試合の連続を決勝ラウンドの最終盤まで戦い抜いた疲労が抜けていなかったのだろう。その中にあってともに早期敗退して体力の残っていた向とクレルジェがハイパフォーマンスを発揮したというのがこの日序盤戦の様相だ。日本のベンチは、向がトリッペル、イゴルニコフと上位選手に立て続けに勝ったことで、判断に狂いが生じてしまったのではないだろうか。ちなみにこの構図に気付いたのがドイツ。3位決定戦のオランダ戦では個人戦銀メダルのトリッペルを下げ、階級落ちの81kg級ドミニク・レッセルを敢えて起用。試合時間8分58秒を掛けて2019年の90kg級世界王者ノエル・ファンテンドから「指導3」の勝利をもぎ取り、厳しい盤面をひっくり返して勝利に繋げている。冷静な判断だったと思う。
向は強者だが、相手は同様に力を余しており、かつ相性的には難しい団体戦男・クレルジェ。ここは永瀬貴規に替えるべきだった。絶対的な力と、どの海外選手も音を上げる粘り強さで、弾き返すべきだったと考える。
もう1つ、初戦で阿部詩を起用したことは買えない。ドローが終わった時点で試合順は決まっていた。57kg級枠の次戦は決勝になる可能性が高いこと (準決勝は最後衛なので登場の可能性は少ない)、しかも次にやってくるのは芳田司-シジクという大一番であることはわかっていたはず。さらに阿部の相手は階級屈指のパワーファイターであるテレザ・シュトルである。結果として無駄に阿部を傷つけ、個人戦V逸から立ち直るさなかの芳田から暖機運転の機会を奪った。緩みのある采配だったと思う。
「持たなかった」日本、団体戦を戦い抜く力は残っていなかった
決勝に関しては永瀬を起用するべきだった。こういうことを言うと当然ながら「永瀬は疲労してもはや使うのは難しかったのではないか」という推測が出てくるわけだが、日本の敗戦の本質はこの周辺にあると思う。つまり大きく言って、チームとして「持たなかった」のだ。クレルジェが、向が個人戦と同じ失敗(我慢出来ずに捨身技や抱き勝負に出てしまう)を犯しやすいタイプの選手であることなどベンチはわかっていたはず。負傷か消耗か、永瀬を使えない事情があったのだろう。出場試合ゼロということは、原沢久喜も既にパンクしていたのであろうし(団体戦にフル出場したウルフは個人戦優勝後の囲み取材の時点では、団体戦の出場は1試合くらいではないかと発言している)、試合を見る限り芳田司はV逸のショックから立ち直り切っていないと推察される。70kg級のバックアッパーとして登録されている田代未来は、これも個人戦のショックを考えれば使える状態ではない。そもそも、本当に田代のアグベニュー対策が完了して個人戦で現実的に勝負を掛けられる仕上りであったのであれば、「よし、決勝はアグベニューが来る。いまこそ成果を見せて来い」という策も取れたはずだが、実際にこれをカードとして想像し得た人はほとんどいないはず。手札として死んでいる。57kg級枠に起用可能な阿部詩は初戦を見る限り、一階級上では有効な手札にはなりえない。もともと男女混合団体戦のレギュレーションが日本の戦力配置に噛み合っていないとの指摘はかなりあり、それは大会前からわかっていた事実なのだが、そもそも総体としての日本チーム自体が既にボロボロ。全力を振り絞り、男子で5、女子で4つの金メダルを獲るという赫赫たる戦果を残してしてなお団体戦を戦う余力は、既になかったというのが大局なのではないだろうか。
もう1つ言うと。采配を観察して、男女混合団体戦創設以来世界選手権4連勝が引きおこした「勝って当然」の緩みはなかったと言えないと思う。そして、1ヶ月半前のブダペスト世界選手権団体戦決勝。まさにこのフランスとの一番で、ジュニア世代を中心に布陣した相手に対し男子の若手を総取っかえ、実績のあるベテラン軍に入れ替えて目先の勝利にこだわったことも忘れてはならない。長い目でものを考えていったん負けを受け入れたフランス、とにかく目先の1勝を目指して若手を全員引っ込めた日本。そして肝心の五輪本番で勝ったのはフランスの側であったということは辛い事実として記憶にとどめておくべきだろう。
いずれ、フランスがこの日いちばんいいチーム、チャンピオンの名を冠すに足る素晴らしいチームであったことは間違いない。勝利を心から祝福したい。
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