「柔道と申すものは体育勝負修心の三つの目的が有っておりましてこれを修行致しますれば体育も出来、勝負の方法も練習出来、一種の智育徳育も出来る都合になっております」
出典:「柔道一班ならびにその教育上の価値」 同題講演の録小冊子 明治22年(1889)5月
(『嘉納治五郎大系』2巻,102頁)
前回、嘉納師範の考える柔道の目的について触れました。そこに「柔道修行の『究竟(くっきょう)の』目的」とあったのを皆さんは覚えていらっしゃいますか。
究竟の目的、つまり最終的な目的ということです。では、柔道の目的は他にどのようなものがあるのでしょうか?その答えの1つが今回の「嘉納治五郎師範のひとこと」です。
明治15年(1882)に嘉納師範は自宅の書院兼道場で柔道の教授を始めますが、師範自身も述べている通り、当初は師範が学んだ起倒流と天神真楊流を折衷したようなものを教えていたようです。残念ながら、この頃の教授内容が分かる当時の史料は(公開されている限りでは)存在しません。
そんな中、私たちが「講道館柔道」の最も古い形を知ることが出来る資料が今回取り上げた「柔道一班ならびにその教育上の価値」です。
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