「 今日の柔道家も、柔道の究竟の目的に達しようとする努力が足りなくて、その手段に過ぎない強くなろうとか、勝負に勝とうとかいうようなことに重きを置き過ぎているようである。 」
出典:「上段の柔道について」柔道4巻8号 大正7年(1918)8月
(『嘉納治五郎大系』2巻,59頁)
本連載の第5回で少し触れましたが、柔道の競技偏重の傾向は師範存命中から見られました。そのような状況への師範の警句はいくつも遺されていますが、今回取り上げた「ひとこと」もそのうちの1つです。
ここで言う究竟の目的は「嘉納(治五郎)師範遺訓」に出てくる「己を完成し世を補益すること」ですが、その目的に向かう努力が足りずに、強くなることや、勝負に勝つことばかりを重視している大正7年(1918)当時の状況を嘆いているわけです。
冒頭の「ひとこと」、文章、内容共にもさほど難しくないのですが、よく読んでみますと気になる点がひとつあります。ここで、もう一度、最初から師範の言葉を読んでみてください・・・。
「今日の柔道家も」とあります。「も」がつくと言うことは他に強くなるとか、勝負に勝とうということに重きを置いている人たちがいたということです。一体誰のことを指しているのでしょうか。
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