【eJudo’s EYE】変化することでこそ価値は守られる、「全日本」の復活確信した大会/令和2年全日本柔道選手権早出し評⑤

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文責:古田英毅
Text by Hideki Furuta

講道館大道場、嘉納治五郎師範の写真の前に選手が集う。
全選手の大会に対するリスペクトが、今年も全日本を全日本たらしめた。

今年の全日本選手権は、飛びぬけて面白かった。見逃していい試合など一試合もなかった。何より、これぞ全日本選手権という往時の華やぎを感じさせた。最強選手を決める緊張感、棲む世界(それぞれの階級)異なるものが交わることで生まれる時間と空間が捩じれたような感覚、普段とはまったく違う方法論のぶつかりあい、小が大を倒す驚き、際立って異なる個性の相克による意外な化学変化。そして、選手があまりにも真剣であるゆえに生まれる無数の勝負の綾。序盤戦で感じた「誰が勝ってもおかしくない」という皮膚感は、近年の全日本にはなかったもの。全日本の趣は時代によって少しずつ変わるが、「タイプの違う実力者が高いレベルでひしめき、誰が勝つかまったくわからない」というこの感じ、きっと昭和40年代前半の全日本選手権進行中の観客はこういう感覚を抱いたのだろうなと思わず妄想してしまう(色々考えたがその時代が妥当と愚考)ものがあった。

さて。まず、会場の変更や無観客試合というやむなき措置をものともせず、全日本の「格」が守られたことが非常に喜ばしい。舞台装置として提供された講道館大道場という場が、嘉納師範(の写真)の眼前という日本武道館とは異なる価値体系での磁場の高さを備えていたことはもちろんだが、何よりこれに寄与したのは選手全員のこの大会に対するリスペクトである。試合の格は、選手たちがその大会をどれだけ大事なものとして捉えているかという共通感覚で決まる。外野がいかにその価値を力説してもこれが伴わなければ「すべての柔道人が憧れる最高峰大会」などという言説は建前にしかなりえない(IJFが最強大会との触れ込みで企画し極めて高額の賞金まで用意した世界無差別選手権が、さして盛り上がらぬままフェードアウトしたことを思いだして欲しい)。出場選手たちの緊張した、それでいて誇らしげな表情、そして真剣な戦いぶりはこの大会が変わらず我々柔道人にとって唯一無二のものであることを何より雄弁に語ってくれた。会場が変わっても、観客がいなくとも、選手が「全日本は全日本」とその価値を信じてくれたから、我々の大事な全日本は守られた。それがまず嬉しい。まことに僭越ながら、すべての選手に感謝を申し述べたい。

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