文責:古田英毅
Text by Hideki Furuta
阿部一二三、見事金メダル獲得。凄みのある戦いぶりだった。勢いのまま暴れまわった2017年ブダペスト世界選手権制覇、同じモードで投げまくった2018年バクー世界選手権制覇時とはステージがまったく違う。必ず勝つために必要なものは何かというドライな視点からの上積み、そして引き算が極めて的確。「凄み」の因は、この「必要な行動のみを採る」「不必要な行動(負けるリスクの上がる行為)はしない」という乾いた線引きにあったと思う。進退にまったく曖昧さがない。当然ながら戦いぶりも極めて冷静。力いっぱい、余るほどの力を出して投げに出ていた過去の阿部とは別人だったと言っていい。裏付けとしてのこの1年間の阿部の成長、特にライバル丸山城志郎との戦いを経て得たものも非常に大きかったと思う。
まず、全戦通じて「掛け潰れ」がほぼゼロであったこと。阿部の力が相対的にもっとも落ちるのは間違いなく立ち技から寝技の移行に生まれる「際」。特に相手に背中を向ける前技の掛け潰れが危ない。寝技が得手ではない阿部がグラウンド勝負のエントリーで出遅れるという致命傷を負いかねない危険なエリアであり、一瞬ノーガード状態で捨身の返し技を食いやすくなってしまう力関係の真空地帯でもある。今年唯一出場したグランドスラム・アンタルヤではむしろ掛け潰れが多かった。「オプションを増やすため」と導入した低い担ぎ技の増加に伴うものであるが、阿部はこの実験を経て、どうやらこの五輪では必要なし、むしろこれはリスク要因と判断してスッパリ切り捨てたようだ。折角練習した技なのだからというようなウェットな感情や、おそらくつきかけていたであろう「癖」など一切斟酌せず。余分な技を「切る」ことで数少ない隙を完全に埋めてしまっていた。
どころか、担ぎ技自体を大幅に減らしていた。ご存じの通り全4試合の決まり技は大外刈が3に、背負投が1。担ぎ技の幻影をテコに大外刈で仕留めるという前後の「脳内フェイント」が利いていた。その数少ない担ぎ技を繰り出すタイミングも実に的確。一言で言って、無駄撃ちがない。燃料消費の激しい担ぎ技を最小限に抑えたということなのか、阿部の投げを恐れた相手が後重心で進退する状態では可能性が薄いという判断なのか。そして数を減らしたその担ぎ技、ここぞと判断して打つ場面では非常に効いていた。対になる技である大外刈の決定率の高さでそれがよくわかる。無駄撃ちゼロ、撃てば必ず効かすというこのヒットマンスタイルは見る側にとっては凄みを上げ、戦うものにとっては阿部最大の武器である担ぎ技への恐怖をいや増した。結果として呼び込まれた大外刈決着はまことに論理的な帰結であった。リスクを減らすということでは、阿部の勝負モードの一である「抱きつき密着」「腰をぶつけてから弱い方向を探す」挙も、この日はほぼまったく見せていない。己の長所であっても潔くリスクを切り捨てて、より強いフィールドだけで勝負した。想像を遥かに超えるドライな選択である。
この戦い方、少なくともこの2021年夏東京五輪にあっては、ジャストの解だったと思う。もっかの阿部の立ち位置、周囲との力関係やこれまでのツアーの流れ、五輪という超ハイプレッシャーステージ、すべての文脈に適っていた。
唸らせられるのは、この阿部の戦い方が、直近のグランドスラム・アンタルヤと全く異なるものであること。低い担ぎ技を切り捨てたことはもちろんだが、この大会で阿部がおそらく手ごたえを得たであろう戦い方に縋っていない。例えばあの大会の決勝で決めた右小内刈の優先順位を上げることをしていない。あくまでフラットに、手札の一として扱っている。ゆえに今回の阿部の戦い方は、単に直近の試合を分析するだけでは予想し難い。試合の中に手がかりがほとんどないはずだ。資質、長年の蓄積、技術体系、柔道家・阿部一二三という大きな塊の中から五輪カスタムで的確に引き出しを開け、そして、新たな技まで上積みした。強さ自体はもちろんだが、これでは周囲は到底ついて来られまい。補助線が引けない。予想出来ない。準備勝ちである
そして、ひときわ凄かったのが決勝の右大外刈。これは「上積み」の部分。ケンカ四つのマルグヴェラシヴィリに対して引き手で近い襟(左襟)、釣り手で袖を握るという変則型。両袖大外刈から一歩進んだ、明らかに対ケンカ四つ用の秘密兵器だ。阿部が苦手であったケンカ四つ、特に「引き手が持てない」ことに対する解と捉えるべきだろう。単に引き手(右側)が持てないから左側を握るというような安易な挙ではなく、理に適っている。引き手で左前隅(左襟)、刈り足で右後隅(右膕)と対角を固定して相手を剛体に追い込んでいる。ケンカ四つの際、引き手を持たずに、片手片足で順方向の大外刈を引っ掛けるムーブ(片側だけ、膝だけを抑える形)は崩し技として見かけることがままあるが、自身の安定感が保てず、かつ固定が甘く、実際に投げることは難しい。しかし引き手で近い襟を持つとそこに固定点が生まれるので、こういう「抜けてしまう」技も効くようになる。カマル・ハンマゴメドフの「襟大腰」 (https://www.youtube.com/watch?v=tSoZEhjBlsE)と近い理合だ。
エントリーの素早さ(相手の組み手を切り離してから決めまでがまさに一瞬である)、袖を掴んだ釣り手を一杯に伸ばしての剛体確保、そして背中でもたれ掛かる様に圧を加える決め(この技術では「刈る」こと自体で決めることは難しい)の確かさから、相当練り込んで来た技術であることがよくわかる。ジャストアイデアの域を遥かに超えている。まったくの憶測だが、これは昨年の「ワンマッチ」用、対丸山城志郎を想定して作り込んで来た技術ではないだろうか。ケンカ四つで、引き手が持てない、そして引き手を持つことすら怖い強敵にどう戦い、どう攻めるか。この技が対丸山戦最大の課題に対する的確な答えであること(本番では使わなかった。練り込みがまだ足りなかったのか、それとも丸山の圧が引き手で襟を持つこと自体、あるいは一歩間違えば己が大きくバランスを崩すこの技に飛び込むこと自体をリスクと感じさせるほど高かったのか)にこれが濃く匂う。たった1人との戦いに「必ず勝つ」ことを期して臨んだ半年間。阿部はおよそ目に見えがたい「精神力」や「経験」(ひょっとすると阿部にとって1試合カスタムで技術を練り込み、想定した戦術で戦い抜くこと自体がほとんど初めてだった可能性すらある)だけでなく、この時上積みした具体的な技術を以て、五輪本番の大勝負を勝ち切ったのである。
この先の阿部について。今回で阿部は一段上の世界に足を踏み入れたと思う。変則ファイターにとって本来必須である独自の技術体系、マイカスタムの「入口・経路・出口」の開発をついに見せてくれたからである。筆者は2019年東京世界選手権時、この大会の勝者は過たず独自の技術体系を練り込んでいることを指摘させて頂いた( https://lite.ejudo.info/topics/6162/)。トップ選手、特に変則ファイターは、教科書に進化の「解」が示されていない。己の資質、体型、持ち技、戦型にあった進化の道筋を自ら探し、開発していくしかない。この年の勝者でいえば90kg級のノエル・ファンテンド然り、81kg級のサギ・ムキ然り、73kg級の大野将平(一見オーソドックスだがこの点の練り込みは生半可な変則など相手にならない)然り、さらに60kg級のルフミ・チフヴィミアニと枚挙に暇がない。筆者はまさにこのとき、阿部がこれまで上積みせんとしてきた技術が「教科書通り」で実は己の技術体系に噛み合っていないと指摘させて頂いたのだが、今大会は、長年ここに苦心して技術的に閉塞を起こしていた阿部が、ついにこの「独自進化」のステージに辿り着いた大会でもあるわけだ。
間違いなく、背景には丸山とのワンマッチを通じて得た高い自己理解がある。そしてパーク24入社以来の阿部の技術的な進化は素晴らしい。技術的な詰めはもちろんだが、発想自体が相当高いレベルにある。学生時代、逆技だからと教科書通りにひとまず左一本背負投を練習していた、あの刹那的な選択がいまや信じがたいほどだ。
史上稀なる戦果を収めた今回の日本代表に共通するのは、単に「勝てる力を養う」ことではなく「確実に勝つ」ための方法論を突き詰めたこと。そしてそのために成長を止めないこと、つまり変化を厭わぬことで追撃者を引き離すこと、阿部もまたこの条件2つをしっかり満たしていた。必要なもののみを突き詰める引き算、積むべき上積みを的確に持ち込む足し算。そして、あの「ワンマッチ」を経て獲得した経験値と、具体的な技術。まさに集大成と呼ぶべき1日、凄み漂う4試合だった。
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