「何かの方法で模範とすべき形式を示すことは特に必要な業といわねばならぬ。」
出典:「いよいよ近づいた全日本選士権大会」
柔道1巻8号 昭和5年11月 (『嘉納治五郎大系』2巻348頁)
創立当初、門人の数は少なく、専用の道場もなかった講道館柔道ですが、多くの人に受け入れられ、普及は加速度的にすすみました。創始者の想定も遙かに超えるスピードで・・・。
結果、柔道の普及は師範の意図とは異なる部分が突出し、その理想から乖離する形ですすみました。師範の考える講道館柔道は、師範存命中から、「理想」であったわけです。
師範の柔道普及は、自らの理想とは異なる現実の柔道をいかに自分の理想に近づけるか、という格闘の歴史でした。
創始者であり、柔道の父のみならず「神様」扱いまでされる師範ですが、当時から決して絶対的なカリスマではなかったことを物語る資料やエピソードがいくつか残されています。
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