みだりに旧物を打破するの不可なるがごとくすべて新規なるものを善しとするのもまた大いに弊害あり注意を要す。」
出典:「普通教育の方針について」福島県教育 29巻11号 大正2年(1913)11月
(『嘉納治五郎大系』6巻94頁)
嘉納治五郎師範という人物を思うとき1つのイメージとして「新しいものを求める人」「革新者」といったものがあるのではないでしょうか。同じ武道の剣道が剣術との緩やかな流れから成立し、連続性があるのに対し、講道館柔道の誕生は柔術批判に拠る部分が少なくありません。柔術=古い・悪い、柔道=新しい・良いといった対立軸を生み、そういった言説を流布したこと。あるいは、アジア初のオリンピック委員となり、日本の体育・スポーツの振興に尽力したこと等も、上記のようなイメージの一因となっているでしょう。
では、師範は常に革新的で新しいものを求めるイメージ通りの人だったのでしょうか。
「高師の嘉納か、嘉納の高師か」と言われるほど長年にわたり、校長を務めた東京高等師範学校(現筑波大学の前身)で教員を務めた国語学者・保科孝一氏は、師範を<時勢を深く考察しない><教育について進歩した理想を示さなかった><時代に取り残されるが分かっているのに対策を講じなかった>等とどちらかというと保守的な人として評しています。
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