「柔道の修行は、攻撃防禦の練習によって身体精神を鍛錬修養し、斯道の神髄を体得する事である。そうしてこれによっておのれを完成し世を補益するが柔道修行の究竟の目的である。」
出典:講道館柔道概説(第一回) 「柔道」第1巻2号 大正4年(1915)2月
(『嘉納治五郎大系』3巻,124頁)
今回の一文は前回の柔道の定義に続き、柔道の目的について述べています。
嘉納師範の柔道の定義と今回の目的を考えるとき、キーワードは「押し広げる」になります。師範は柔道の技に一貫する根本原理を考究し「柔道の種々の業を通じていつでも言い得られることはそれぞれの場合において最も有効なる方法を選ぶべきである」という結論に達します。そして、「その名称(筆者注「柔道」という名称)を一層押し広げて予は柔道という言葉を攻撃防御の場合に応用すべき心身の力を最も有効に使用する道の存するところにこの柔道という名称を用いることにしたのである」としています。
つまり、(この定義以前の)柔道の技術に共通する原理を探求した結果、発見したものに、改めて「柔道」という名称をつけ、それまでの「柔道」が指す範囲を意図的に押し広げたということです。このことで、同じ「柔道」という用語を使っても示す範囲が違うことがあり、受け手側はそれを文脈から判断しなければいけません。ややこしいですね。
以上のことから、師範の考える柔道と我々の考える柔道とは別物か・・・という前回の問いについては、別物ではあるが、柔道の技を介して、しっかりと繋がっていると考えられるのではないでしょうか。
さて、前置きが長くなりましたが、今回の「嘉納治五郎師範のひとこと」です。
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