「毎日同じ事を聞かされ、同様の記事を読むと、別段感激もせずついには倦むようになる。」
出典:「我が講道館文化会員に告ぐ」
「作興」10巻8号 昭和6年8月 (『嘉納治五郎大系』1巻252頁)
人には「慣れ」というものがあります。そこには、当然<良い面>と<悪い面>があると思いますが、今回の「ひとこと」は後者について師範からの警鐘・・・なのでしょうか。
大正11年(1922)、講道館文化会設立以降、「精力善用」「自他共栄」の普及が、師範にとって生涯の大事業となりました。その普及活動の一環に、講演(講義)がありますが、師範存命中に講道館に入門、親しくその教えを受け、2013年に亡くなった故福田敬子女子九段が興味深い証言をしています。福田女子九段によると、師範の講話を「親父の長い話が始まった」と真剣に聞かない人もいたというのです。
講道館の道場における出来事と思われますが、「講義」を修行において欠くことの出来ないものとしていた師範にとって(第27回)、時間を割くのは自然なことだったでしょう。自らの考える講道館柔道の大切なことが修行者に伝わっていないと感じていればいるほど、熱がこもった話になったはずです。
ですが、「親父」という呼称に、敬慕を感じながらも、その話にうんざりしていた人が少なからずいた様子が、うかがえます。
そして、そういった実態を師範が知っていたことが分かるのが、今回の「ひとこと」です。
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