【隔週刊・嘉納治五郎師範のひとこと】第57回「 梅には梅の季節、桜には桜の季節があるごとく、その人の花咲く時節にも早晩の差があるのは疑いないが、自ら勤めて倦みさえしなかったならば、いつかは大いに英発することの必ずあるものである。 」

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嘉納治五郎師範_MASTER JIGORO KANO

「 梅には梅の季節、桜には桜の季節があるごとく、その人の花咲く時節にも早晩の差があるのは疑いないが、自ら勤めて倦みさえしなかったならば、いつかは大いに英発することの必ずあるものである。 」

出典:「賦性と修養」 『青年修養訓』  明治43年12月 (『嘉納治五郎大系』7巻181頁)

柔道修行者にとってもっとも辛く、やりがいのある暑い季節になりました。

読者の中には暑中稽古に参加しているかたもいらっしゃるでしょう。暑中稽古に限らず、柔道の修行は辛く苦しい場面が多くあります。そういった修行の成果が、目に見える形ですぐにあらわれれば良いのですが、そういかないのは皆様ご存じの通りです。
そのため、途中で修行や努力を止めたくなることもあるでしょう。特に他の人には成果が出たのに、自分に出なかったりすると・・・。

<時期は違っても、努力を続ければ、その成果は必ず出る>師範は花の咲く時期を例えにして、そう主張します。

努力が必ずしも成果が繋がるとは限らない、そういった考え方もあるでしょう。ですが、成果を信じなければ、努力は続けられません。結果が出る時期に違いはあっても、努力を続ければ、その結果が出ることが「必ずあるものである」とする師範のこの言葉には、人の努力を肯定し、支えようとする優しい気持ちを感じることができます。
 
さて、今回の言葉は修行する側に向けて発信されたものです。ですが、筆者はそれを見守る、指導者にも、是非考えていただきたい言葉だと思います。

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