「 柔道ではその中庸たる指座を採用するのである。 」
出典:「柔道の一端」 教育時論886号 明治42年11月 (『嘉納治五郎大系』未収録)
講道館柔道が創始され、130年以上が過ぎました。
これを「もう」ととるか「まだ」ととるかは、人それぞれですが、この130年を超える歴史の中で「なぜこうなのか?」が、すでに分からなくなっていることが割とあります。例えば、足を絡めたらなぜ“解けた”なのか。あるいは、立礼の時、どうして手を前に出すのか、等々。
「分からない」「知らない」と言っているうちは、まだ良いのですが、想像で、その起源らしきものをこじつけることもあります。筆者が耳にした、面白い例は、赤畳は、そこから出たら死ぬという意味で、血をあらわす赤色にしたというものがあります。赤畳自体がそこまで古いものではないにもかかわらず、このようなことをいう人がいることに大変驚きました。いわゆる俗説です。立ったり座ったりする際、必ず右脚を立てた姿勢をとる<左座右起>を武士が刀を腰にさしていたことに由来するというのも、この類かもしれません。
歴史を調べ学ぶ意義の一つは、そういった俗説をなくし、起源やその当時の背景・意味を明確にし、文化に厚みを持たせることにあるでしょう。
前置きが長くなりました。
今回は「なぜこうなのか?」の1つである「柔道は正坐の際、なぜ親指だけを重ねるのか?」についてです。筆者の知る限り、師範がその理由を述べた唯一の史料が、引用元です。
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