「目的があってこそ、人生一切の事は皆光あり力あるのである。」
出典:『青年修養訓』 明治43年(1910)12月(『嘉納治五郎大系』7巻23頁)
人が生きていることの重みを感じるのはどんな時でしょうか?
いろいろな意見があると思いますが、筆者は、「自分が必ず死ぬ」ということを実感したときではないかと思います。 「人生は有限である」、頭では分かっていても、現実味をもってこの事実を思うことは、日々の生活では、あまりありません。そんな中、嫌でも「死」を強く意識せざるえない場面の1つが親しい人の「死」ではないでしょうか。
江戸末期の万延元年(1860)、兵庫県御影の地に生を受けた嘉納師範は幕末の動乱に巻き込まれることなく、幼少の頃から英才教育を受けて育ちます。生家が酒造り一族の名家ということもあり、その日々も何不自由のないものだったことでしょう。
ところが、師範が10歳の時、母親が病気で亡くなります。師範が母について残した記述は多くはありませんが、自らに大きな影響を与えた存在であったことを回顧録で度々語っています。<情のあたたかい、厳格であると同時に懐かしい>そう振り返る母を亡くしたとき、師範は「人生が有限である」ことを強く感じたことでしょう。
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