【月刊・嘉納治五郎師範のひとこと】第113回「論語読みの論語知らず、医者の不養生というように、柔道家の非柔道的行為とでもいうべきである。」

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月刊・嘉納治五郎師範のひとこと
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「論語読みの論語知らず、医者の不養生というように、柔道家の非柔道的行為とでもいうべきである。」

出典:「歳首の辞」柔道4巻1号 大正7(1918)年1月
(『嘉納治五郎大系』1巻340頁)

「論語読みの論語知らず」「医者の不養生」。よく耳にする慣用句です。
共に「専門家が立派なことを言っても自身では実践出来ていないこと」を意味するようです。
では、続く「柔道家の非柔道的行為」とは何でしょうか。辞書にはのっていませんし、ネット検索しても見つからないでしょう。
皆さんはこの文言を見て、どういう意味だと思いますか?

このメッセージは、柔道修行者の中でも、特に柔道の教師に向けられたものです。
柔道の教師がその職務を十分に果たすためには、<技術の研究><柔道を体育の目的に最もよく適うように教えるための工夫><修行者に徳育上の指導をするための自己の学問・人格の修養>その他、準備しておかなければならないことが沢山あると師範は言います(※)。

そして、教師が上記のことを行うために、自身の時間を遺憾なく使っているかというと「残念ながらそうは行っておらぬと思う」と師範は言います。嘆息する師範の姿が目に浮かぶようです。

柔道とは「心身の力を最も有効に使用する道」です。その「柔道」を教える人が、自身の生活で、実行出来ていない。その嘆きを師範なりの(ブラックよりですが)ユーモアで表現したのが「柔道家の非柔道的行為」でしょう。
さらに、柔道の教員でありながら、技術指導にとどまり、師範自身の理想とする本当の柔道を実践出来てないことを「論語読みの論語知らず」に含まれる「うわべだけの理解」という意味にひっかけて皮肉を言っている・・・というのは深読みしすぎでしょうか。

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