「審判規程は柔道の修行上平素の練習の仕方を左右することがはなはだ多いから、平素の修行に好影響を及すように攻究していかなければならない。」
出典:「さらに十月の全日本柔道選士権大会と十一月の全日本中等学校柔道大会について」
柔道2巻9号 昭和6年(1931)9月(『嘉納治五郎大系』2巻,371頁)
先般、国際柔道連盟試合審判規程が改正されました。いくつかの変更点が色々と話題になっているようですが、歴史的な観点からすると、嘉納師範の時代から行われてきた「合せて一本」の廃止が注目点かも知れません。
さて、師範の考える柔道において、試合が柔道の目的を達成するための一手段に過ぎないことは、再三紹介してきたところですが、今回は、その試合を律する審判規程のあり方についての師範の考えです。
試合が手段である以上、その試合を規定する審判規程も、その手段として合理的な内容に向かっていくのは当然のことです。精力善用を掲げる師範であれば、余計その傾向は強くなるでしょう。
本連載第5回でも触れましたとおり、師範は試合を日頃の修行の成果をはかる場と捉えていました。ただ、その一方で、師範は普段の修行が、(勝利至上主義の横行を目の当たりにすれば当然でしょうが)試合の様式に影響を受けやすい現実も理解していました。だからこそ、日常の修行をより良い方向に導くために、審判規程も、日頃の柔道修行に好影響を与えることを念頭に研究していかなければならないと考えていたようです。
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