「今日の稽古の仕方が崩れてきたのには二つの理由がある。」
出典:「柔道家としての嘉納治五郎(6)」作興6巻6号,昭和2年6月
(『嘉納治五郎大系』10巻50頁)
資料が手元にないため、うろ覚えで恐縮ですが、ある論考で、西洋は時間軸に比例して、物事が良くなっていくという考え(俗に言う「進化」)に対して、東洋は反比例的な考え(「昔は良かった」的な思考)と指摘しているのを見たことがあります。個別では、異なる事例も多々あるでしょうが、一定の説得力があります。初代や創始者、あるいは、その時世が最も優れ、以降、次第に劣化していくというのも同様の考え方でしょう。
柔道界にも、このような考え方があるようです。嘉納治五郎師範が生きていた時代は、師範の理想とする素晴らしい柔道が実践されていたが、師範の没後、ダメになっていったという考え方です。しかし、本連載の読者はご存じの通り、師範在世時から、その理想と現実に距離が存在したことは、師範の著述から明らかです。
自らの理想と異なる形で広まった柔道をいかに自身の理想に近づけるか、それが師範の生涯にわたる事業だったと言えます。しかし、その結果は、決して良いものでは、ありませんでした。
師範の理想と実態には、主に二つの方面で隔たりがありました。
一つは、畳の上の「柔道」で学んだことを畳の上以外で利用すること。もう一つは、技術についてです。冒頭の「ひとこと」は、後者寄りの警句だったと言えます。
師範が言う、稽古が崩れてきた二つの理由とは一体何でしょうか?
ここで一度、読むのをやめて、皆さん、考えてみてください。
では、答えです。
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