「名誉というものは、本来、善事をなしてその結果として得られるものである。」
出典:「なにゆえに国家も個人も思うように進歩しないのであるか」
作興6巻1号 昭和2年11月 (『嘉納治五郎大系』6巻397頁)
人が何か目的を持ち、それを達成しようとするとき、そのモチベーションは一体何でしょうか?人それぞれでしょうが、その中の一つに<名誉>や<名声>といったものを(口にはしなくても)挙げる人は決して少なくないでしょう。
「名誉」は、本来なら「善事」つまり<良いこと>をして、その結果として得られるものであると師範は述べます。「本来」とわざわざ言うということは、「本来」以外のパターンがあると言うことです。つまり、何らかの理由で、実力や功績以上に、名誉や名声を得てしまうということ。こういった場合の名は尊ぶべきではないと師範は言います。それどころか「恥ずべきである」「(名ばかりあがった後、実績を残さずに死んだら)借金を残したの同様」とさんざんな評価です。
紹介した「ひとこと」は昭和2年のものですが、実は同じ趣旨のことは、たびたび述べられています。その中の一つに、大正5年に師範の私塾である嘉納塾で行われた講話があります。そこでは、世間の教訓の中には、意味を取り違えることにより間違った結果になるものがあるとし、その事例として「名を残す」ことを挙げています。
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