出典:「柔道と喧嘩紛擾」 有効の活動 7巻10号 大正10年10月
(『嘉納治五郎大系』2巻165頁)
「予が説かんとするのは、柔道の真髄を会得している者の間には、喧嘩紛擾(ふんじょう)は容易に起こるものではないということなのである。」
「予」などと少し時代がかった一人称は、言うまでもなく嘉納治五郎師範のことです。
今回の「ひとこと」で、師範は柔道の真髄を身につけた人同士では、ケンカや紛擾(ふんじょう=もめることや紛争のこと)は簡単に起こらないと主張します。
なぜ、柔道の真髄を会得すれば、ケンカや紛擾などの争いごとは簡単に起こらないのでしょうか?単純に言えば、争いごとは「心身の力を最も有効に使用する」という柔道の真髄に反するからです。師範は争いごとの多くは<双方の損害となって終わる>と言います。そしてその原因を<感情を制する事が出来ない>または<目の前のことばかりで、広く遠く物事を見ることができないため>としています。これは争いごとの多くに通じるもので、労資の争いも同様であると述べています。
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