「かかる貴重なものは、ただ自ら私すべきものではなく、弘く大いに人に伝え、国民にこの鴻益(こうえき)を分ち与うべきであると考うるに至った。」
出典:「柔道家としての嘉納治五郎 第3回」作興6巻3号 昭和2年(1927)3月
(『嘉納治五郎大系』10巻22頁)
ものの価値や貴重さが、希少性や独占によって生まれ、保たれることはよくある話です。そして、一度手にした貴重なものをなかなか手放せないというのも、よく聞く話です。
嘉納師範が講道館柔道の母体である柔術の修行を始めたのは、俗に言う「イジメ」が原因だったとされます。頭脳明晰で学業優秀だった師範ですが、身体的にはどちらかというと<弱者>であり、それが「イジメ」の被害者になる要因だったようです。そんな中、力が弱くても力が強いものに勝てると言われる「柔術」に関心を持ったことが、後の講道館柔道創始に繋がるわけですが、柔術修行の動機は単純に「イジメ」への対抗手段だったわけです。
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