「単に勤勉とか励精というだけでは、精力の最善活用というほどに明らかに一番善いことをしているかどうかが分からぬ。」
出典:「国家の隆昌」大勢1巻4号 大正11年(1922)7月
(『嘉納治五郎大系』6巻326頁)
ビジネス書の名著『7つの習慣』の筆者であるスティーブン・R・コヴィー博士は、<最良の敵は良である>と述べています。簡単に言いますと、最良(ベスト)を行おうとする際、妨げとなるのが、良(ベター)であり、両者は共に「悪」ではないことから判別が難しい・・・という意味の言葉です。
仕事や勉強に励むことを意味する 「勤勉」に「励精」。
いずれも何かに一生懸命取り組む、とても良いイメージが持たれる行為です。師範もこれらを決して否定はしていません。否定はしませんが、そこにとどまることを認めません。なぜなら、「精力善用」を目指す師範にとって、何かに一生懸命に取り組む、それだけでは「最善」とは言い切れないからです。「勤勉」も「励精」も良(ベター)といったところでしょう。
柔道修行者が頻繁に耳にし、口にする「精力善用」。
この用語は「精力(の)最善活用」を省略したものなので、両者に意味の違いはありません。つまり、<善用>とは文字どおりに、「精力」を「善く」用いるだけでは不十分であり、あくまでも「最善」に活用しなければならないということです。
師範は最善活用の例の1つとして読書を取り上げ、以下のようなことを記しています。
<学生が読書をするのは勤勉と言えるかもしれない。ただ、その場合に読むのに最も適当な書物を選び、最も良い読み方をしていなければ、精力を最善活用しているとは言えない>。最も適当な書物、最も良い読み方というのは、状況によって異なるのでしょうが、常に、それが最善であるかを意識することの大切さを説いています。
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