【月刊・嘉納治五郎師範のひとこと】第112回「多くの業を知っていることが一の価値。」

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月刊・嘉納治五郎師範のひとこと

「多くの業を知っていることが一の価値」

出典:「講道館柔道修行者の進級昇段の方針を述べて東京仙台両高等学校柔道試合に関する世評に及ぶ」柔道4巻6号 大正7年(1918)6月
(『嘉納治五郎大系』2巻416頁)

柔道には多種多様な技があります。
一体どれくらい数があるのでしょうか。柔道の総本山・講道館のHPによると、合計100本とされています。この中には、「形」や「乱取試合」で用いられない「胴絞」「河津掛」、「固の形」で学ぶ「足緘」が含まれる一方で、「当身技」や「小手捻」「小手返」といった手首の関節を攻める技(「講道館護身術」で用いられます)、「抱上」が含まれていない等、不十分な点もあるように見えますが、現時点では公式のものです。
その内容は、なじみ深い技はもちろんですが、名称からはどんな技か想像もつかないものまで、多岐にわたります。

さて、嘉納師範は技について冒頭のように<多くの技を知っていることが一の価値>と述べていますが、さらに<多くは知らずとも業に熟しているということが第二の価値><実際には熟しておらなくとも、その理窟をよく弁(わきま)えてるということが第三の価値>と述べています。

ここで言う3つの価値がどのような関係かははっきりしませんが、師範が多くの技を知っているということに価値を置いていたことは間違いありません(ここでいう「知っている」は知識として知っているという意味ではありません)。

では、なぜ多くの技を知っていることが価値なのか?同論考中では、述べられていませんが、他の資料から推測してみましょう。

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